海がきこえる~幻の四万十編を追う②

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小説版の物語は、東京の大学に進学するため、生まれ故郷の高知を離れ上京してきた主人公・杜崎拓が、自身の高校生活を回想するところから始まる。
拓が通う学校は高知市内の名門私立高校。
ある日、東京から武藤里伽子という女生徒が、拓たちの高校に転校してくる。拓が里伽子に初めて会ったのは高校二年の夏休みのことであった。里伽子は、両親の離婚にともない、母親の実家がある高知の学校に転校してきたのである。

里伽子は成績優秀で運動神経も抜群、おまけにすごい美人。このへん涼宮ハルヒとかぶる。
そして拓は自己本位な里伽子の行動に翻弄されっぱなしである。このへんもキョンを翻弄するハルヒとかぶるが、武藤里伽子は別に変人ではない。宇宙人や未来人と遊びたいとも思っていないし、男子生徒を引き摺り回して怪しげな団を結成したりもしない。ただ、東京に帰りたい一心で母親に無断で飛行機にとび乗り、しかもなかば強引に同行させた拓と、勢いで都内のホテルで一泊する(性的な意味ではなく)といった行動はいささか型破りである。

拓の親友である松野豊はひと目で里伽子に惹かれるようになるが、松野の告白は里伽子ににべもなく拒絶される。一方で、拓自身もまた里伽子が好きであったことをあとになって気づかされる。
転校生・里伽子をめぐる生徒達の間でのささやかな動揺、ハワイへの修学旅行や文化祭といったイベントを通して、高校生の男女の恋愛模様の機微が描かれている。

「涼宮ハルヒ」が、ありそうで絶対にありえない非日常的な学園ドラマであるのに対し、「海きこ」はいかにもありそうな日常的な男女のラブストーリーを描いたドラマであるといえる。

卒業後、拓は高知を離れ、東京の私立大学に進学するのだが、高知の大学に進学したとばかり思っていた里伽子と、東京で思いがけずに再会する。実は里伽子は親に内緒で受験した東京の女子大に進学していたのだ。
この再会シーンは、アニメ版でのラストシーンにあたる。場所はおそらくJR中央線吉祥寺駅で、拓は自分が乗ろうとする電車のホームと、線路をはさんで向かい側のホームに里伽子の姿を見つける。里伽子もまた拓の存在に気づき、二人はホームで見つめ合ったまま、お互いの気持ちをかよわせ合う。
小説の再会シーンはもう少し複雑で、場所は拓のバイト先のパーティー会場である。

さて、単行本「海がきこえる」は、高知に帰省していた拓が高校のクラス会に参加し、その余韻にひったっているところで終わっているのだが、これはアニメージュ連載版の終盤部分を大幅に編集、カットして単行本化したものである。

また、単行本の続編「アイがあるから」は時間的には、夏休み後に大学の講義のため東京へ戻った拓と里伽子のその後からスタートすることから、雑誌連載版の「その後」にはいっさい触れられていない。
繰り返すが「アイがあるから」は全編書き下ろしであり、雑誌連載分は含まれていない。つまり「海がきこえる」には、まったく抜け落ちてしまった空白の時間が存在するのである。問題のカットされた部分を読むにはアニメージュのバックナンバーを探す以外になく、今日では目にすることが非常に困難になっている。

さて、その失われた「その後」とは、どういうものであったのかというと、それはクラス会後の夏休みに起こった物語である。
拓、松野、里伽子・・・そしてもう一人の女性、東京からやって来た津村知沙の男女4人は、四万十川の本流をめざすドライブに出かけるのである。

失われてしまったがゆえなおさらに、きらめくような青春の思い出・・・。
まさにそうとしか形容しえないものが、作品に加えられた編集によって、はからずももたらされたのである。
(つづく)

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