
これも越後七不思議のひとつ。
越後に配流されていた親鸞聖人が赦免されて都へ戻ろうかという折、土地の信者たちから祝いの宴を受けたその席で出された肴が焼いた鮒であった。
聖人がその鮒を手に取り、
「わが真宗の御法、仏意にかない、念仏往生間違いなくんばこの鮒、必ず生るべし」
と唱え池に放ったところ、その鮒が生き返り泳ぎ出したという伝承である。
逆さ竹の藪から南西へ約4キロほど、道の駅「新潟ふるさと村」からほど近い場所に、「見真大師 焼鮒御旧蹟」と記された石塔が建っている。当地に居を構える田代家に代々伝わる話なのだそうだ。

近年まで、新潟市の白山から燕を結ぶ私鉄・新潟交通線には、七不思議ゆかりの地として「焼鮒駅」が存在したが、交通線が廃線となった1999年に同駅も廃駅となった。
新潟交通線跡は、一部が遊歩道として活用されており、焼鮒駅はその存在した場所の、路上に埋め込まれた「焼鮒駅跡」という銘板のみが名残りをとどめている。


ふるさと村は観光客、買物客が引きも切らないが、こちらは足を止める者もほとんどない。
訪れたのは暑い一日だった。
越後に配流されていた親鸞聖人が赦免されて都へ戻ろうかという折、土地の信者たちから祝いの宴を受けたその席で出された肴が焼いた鮒であった。
聖人がその鮒を手に取り、
「わが真宗の御法、仏意にかない、念仏往生間違いなくんばこの鮒、必ず生るべし」
と唱え池に放ったところ、その鮒が生き返り泳ぎ出したという伝承である。
逆さ竹の藪から南西へ約4キロほど、道の駅「新潟ふるさと村」からほど近い場所に、「見真大師 焼鮒御旧蹟」と記された石塔が建っている。当地に居を構える田代家に代々伝わる話なのだそうだ。

近年まで、新潟市の白山から燕を結ぶ私鉄・新潟交通線には、七不思議ゆかりの地として「焼鮒駅」が存在したが、交通線が廃線となった1999年に同駅も廃駅となった。
新潟交通線跡は、一部が遊歩道として活用されており、焼鮒駅はその存在した場所の、路上に埋め込まれた「焼鮒駅跡」という銘板のみが名残りをとどめている。


ふるさと村は観光客、買物客が引きも切らないが、こちらは足を止める者もほとんどない。
訪れたのは暑い一日だった。
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