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南洋駄菓子本舗

アニメ・コミック・読書録・旅行記・その他見てある記、つれづれなるままに書いていきます。

聖地は一日にしてならず・Do It Yourself!!(新潟県三条市)

新潟の地に来てみて、何か他の地方都市とはどこか異なるという違和感を覚えることがある。
何だろうと思って考えてみたのだが、ひとつ合点がいったこととして山がないのである。
日本は山国であり、地方都市にはそれぞれ生活に密着した身近な場所に象徴的な山が存在し、ランドマークとなっている場合が多い。
徳島の眉山、鳥取の久松山、高松の屋島、金沢の卯辰山、鹿児島の桜島などなど…。

新潟県はその県内に面積にして約2000km2にも及ぶ広大な越後平野を擁する。平野部では地殻の起伏は乏しい。真っ平なのである。
日本有数の穀倉地帯であり、東京23区よりも広い面積で米作りが行われている。そのため、夏場から収穫期の秋にかけては青々とした田園風景が美観となる一方で、刈り入れが終わった冬場には一面に荒涼とした大地が広がる。
東京など大都市が計画的に緑地公園などを域内に取り込んでいるのに対して新潟では緑地計画の規模も小さい。建築物の高層化もさほど進められてはおらず、平坦で空が広く、意外と緑が少ないのが新潟の風景の特徴である。

越後平野で目につく山といえば弥彦山があるが、田園を見晴るかす彼方にある低山(634m・東京スカイツリーと同じ)であり、新潟市街からは遠い。
そのかわり新潟には川や海や佐渡島があり、冬にはパウダースノーが降り積もるそれなりに味のある景観なのだが、かかる素朴な原風景はクリエイターの心にどのように訴えかけるのだろうか。

新潟にはアニメの聖地がないのである。
「訪れてみたい日本のアニメ聖地88(2023年版)」には、新潟から「新潟市マンガ・アニメ情報館」と「新潟市マンガの家」が選定されているが、これはアニメ・マンガに特化した施設であり、アニメに登場する聖地ではない。
そんな新潟に2022年放送の聖地アニメが登場した。
「Do It Yourself!! ーどぅー・いっと・ゆあせるふ―」
工具を用いた手作りの工作をテーマとするDIY部に集う女子高生の日常を描いたオリジナルアニメで、舞台となった新潟県三条市は越後平野のほぼ中央に位置する。三条は工具や包丁などの金属製品の産地として有名である。
アニメにも登場する地元商店街でコラボスタンプラリーを開催ということで行ってみた(期間:2023年2月1日(水)~28日(火))。
スタンプカードを受け取って対象店のスタンプを6個押してもらうと記念品が貰えるというもの。

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スタンプカードのうらおもて

一ノ木戸商店街はJR弥彦線の北三条駅が最寄りだが、弥彦線は本数が少なく新幹線の燕三条駅からの接続があまりよくないので注意が必要である。この日は三条市の玄関口である信越線の東三条駅から約1キロの距離を歩いてみた。

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せるふのパネルがお出迎え
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たくみ
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部長
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ジョブ子

三条の工具や金属製品製造の歴史を知りたければ付近にある三条市歴史民俗産業資料館に寄ってみるのもいい。
三条がものづくりの町であることを実感できる。
対象店のひとつでもある商店街の韓国料理店で石焼きビビンバを食べて帰った。

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雪の日の朝に

東京23区に大雪警報が出された日の朝。ワイドショー番組にTVのチャンネルを合わせると、いつもの司会者が…
「不要の外出は控えて」との政府の呼びかけが出ていることを受けて、車を運転する時はスタッドレスタイヤを履きましょうとコメントした。
いや、そうじゃないだろうと、思わずツッコミを入れたくなった。
その司会者は著名なお笑いタレントであるが、歯切れのいい話ぶりが痛快で、物事の本質を突いて来る発言も多いことから、ワイドショーが見られる日にはためらわずにそのチャンネルに合わせるのだが、そういえば先日の北日本での大雪の際にも同じことを言っていたなと、改めて思い出した。
今回の、そして前回の大雪のときもそうだったが、「外出を控えて」という政府の呼びかけを踏まえるならば、第一に外出はしないべきであり、やむを得ず外出する際には信頼できる公共交通機関を利用するか、徒歩で移動できる範囲に限ることの方が優先順位は高いだろう。なぜならスタッドレスを履いていてもエンコする時はするし、大雪の日にわざわざ外出したあげくエンコした車が道路を塞いで立往生するのが豪雪地でのはた迷惑な毎度の事件だからである。
生活道路までが車で塞がれ、そうでなくとも車が雪泥を容赦なくはね散らして走るのが歩行者にとってどれほど迷惑かということに思いを寄せて欲しかった。

その司会者は先日も友人のお笑いタレントが、投資詐欺に遭ってウン億円の損失を出したところ、「先の見えない仕事だし、老後の資金を稼ぎたくて」という発言を受けて、投資は証券会社とか信用できる投資機関を使えとか、長期投資とか安全な運用を考えなさいよとコメントしているのを聞いて、老後の資金にウン億というのがいかに庶民感覚からは外れているのかというツッコミをなぜ入れないのかとモヤモヤしたものである。まあ老後の資金というのは言い訳なんだろうと…。
おそらく彼は雪の日にも仕事へ行くのには車を使い、投資で資産運用を行っているのだろうなと思い、つまり自分のスタンスで物事を考えて正直に発言してしまっているのだなと感じた。

かくのごとくマスメディアを通じての報道が個人的な主観を通して行われることは実は当たり前のことであり、新聞記事やニュースにおいてもまたしかりである。ワイドショーや週刊誌の記事が、伝える側のある種の偏見をより強く踏まえた結果、きわどいネタとして情報が提供される傾向にあるということは確かにいえるとは思うが。
ニュースであれ、ワイドショーネタであれ、人間の知能や言語を通して表現される以上、それらの報道は「意見」なのであり、純然たる事実であるとか、ましてや真実であると考えることは危険である。多くの場合、そうした情報は大衆迎合に走る場合が多い。
多様な情報の中から真相がどこにあるのか、自分自身の判断力でつかみ取っていくことができる、そのための努力をすることが肝心であろう。そんなことを思った。

といいつつ、ワイドショーのネタに文句を垂れる私の主観が、世間の基準に照らして正しいなどという保障はどこにもない。
愚痴愚痴した話になってしまったが、私は件のタレントと彼が司会者を務める番組が決して嫌いなわけではなく、聞けばその番組は今年3月末で打ち切りという話を聞き、残念な思いにかられている。

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「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」とウクライナ情勢など

「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」は、2022年4月15日劇場公開。劇場版コナン第25作。
高木刑事と佐藤美和子刑事ら警察官たちの人間模様を中心に、劇場版らしく大規模テロとの闘いを見せ場にした本作は、警察ドラマの色合いが強く、シリーズ中の異色作といえる。
重要な役割を演じるのが、当初謎の勢力として登場する武装したロシア人女性とその仲間たちであるが、ロシア生まれの声優のジェーニャが脇役で出ていたほか、ロシア語指導も担当していたこともあって、ロシア人女性エレニカを演じた白石麻衣はみごとなロシア語を披露していた。
ストーリーは奇しくもロシア人と日本人が力を合わせて、おそらく欧州人であるテロリストを倒し、大規模テロの危機から東京を救うという構図であり、ロシアのプーチン大統領が見たらどのようなコメントをしたであろうか。

2022年2月24日 ロシアのウクライナへの軍事侵攻が開始されて1年近くがたとうとするが、いまだ和平への糸口は見えていない。
「コナン」の劇場公開と重なる時期に、軍事侵攻があったことから、ロシア非難の声が国内外で高まり、一部では上映の危機が取りざたされたとかされなかったとか。

今回の戦争に関しては、無理もないのであるが、国際世論はロシアに対して徹底的に冷たい。そのため客観的な視点が欠けている気がしないでもない。ウクライナからは遠く離れた日本でも事情は同じであり、日本の政府やマスコミは、ロシアによる侵略を国際法違反と非難し、ウクライナとゼレンスキー大統領の支持に多くの言葉を費やしている。
もちろんロシアの、隣国への強奪的進攻は許されるものではないが、こうした極端に旗色を鮮明にする論調には、時おり違和感を覚えないでもない。
本当に歴史的事実を伝えられているのか不安になるのである。

とりあえず二つ、気になる点をあげると…。
まず一つ目はマスコミの報道姿勢である。ロシアに不利な要素、たとえば将官級の戦死、士気の低下、兵站に関する不安、国内での反戦・厭戦論の蔓延といった事実については、丹念に拾い上げ、積極的に報道していくが、一方でたとえばウクライナが重要拠点を奪還した際には、ロシアの戦略的撤退である可能性については目をつぶり、大勝利であるかのように報じているほか、ウクライナの市民生活の窮迫についてはつぶさに伝えているが、戦線の現状、特に兵站、動員にかんする状況については詳細が報じられないようにも思える。このため、戦況の客観的な分析ができなくなっていはしないか。

味方の劣勢を過少に、敵のそれを過大に報じるのは、歴史上珍しいことではなく、あらゆる戦争において見られるが、身近な例では日本のマスコミが戦後、言論統制として蛇蝎のごとく嫌う「大本営発表」もまたそうであった。
大本営発表が幅を利かすような戦争の歴史が繰り返されていいわけではない。しかし、もし仮に将来において日本に対する外敵の侵略が現実のものとなった場合、日本はどうすべきなのか。
戦争にならないよう外交手段により、国際世論に訴えかけるという論はひとまず措く。
だとすれば答は決まっている。ウクライナがそうであるように徹底抗戦しかないのである。そしてその時、マスコミは果たして国民に対し戦況を味方に優位に伝えてまで、国民に武器を取って戦えと喧伝するのであろうか。

二つ目。
11月15日、ウクライナ国境に近いポーランド領内へのミサイル着弾、死者2名という事故に際し、NATO勢力はまずは時間をかけてミサイルの残骸、弾道などを分析したのち、ウクライナ軍による迎撃ミサイルによるものと判断した。
多少乱暴な言い方になるが、敵の軍事力行使がなされたという一方的な決めつけから戦端を開くとか、対敵宣伝に利用するという例は歴史上数多くあるが、今回NATO勢力はきわめて理性的にそうしなかった。
NATOは対ロシアを過度に刺激したくはないのではないか。つまり自ら戦争はしたくない。まあそれは当然なのだが、一方でウクライナに対する積極的な軍事支援をしておいてである。
そして気がつけばポーランドへの着弾については、いつのまにかニュースにもならなくなっている。

振り返ってみると、かかる慎重な姿勢が、日本政府が北朝鮮のミサイル発射などに対して示した「注視」「遺憾の意」に通じるものがあって面白い。
対外強硬論について慎重なのは、日本だけではなかったのである。

最近になって、「歴史の中の日本」(司馬遼太郎・中公文庫)を読んだ。
同書の中の一節によると、日露戦争のとき、日本の同盟国であった英国のタイムス紙は、東郷艦隊による旅順港の封鎖作戦に際し軍艦「八島」と「初瀬」が触雷で爆沈した事実を堂々と記事にして載せたそうである。一方、日本国内では当然のように極秘にされていた。
また、奉天会戦の時点で日本の陸軍能力は、尽きたに等しい状態であったことを指摘する「的確な」予測記事を書いている。
英国は日英同盟の関係上、日本に好意的であったにもかかわらずである。
元新聞記者でもあった司馬氏はこの点、「新聞のモデルというのは、だいたい二十世紀はじめごろのロンドンの『タイムス』ですね。ぼくは日露戦争のことを調べてわかりましたけど。なるほど『タイムス』はすごかったと思ったりすることがあります」と記している。
歴史作家としての司馬氏の歴史に対する真摯な態度が窺える。

歴史に対する冷厳な態度をもって戦争という事実に向き合うことが、今の(または将来の)日本の政府やマスコミにできるのであろうか。
一抹の不安を覚えたりするのである。

今回の紛争を通じて、現代の国際社会における紛争に際しての、ひとつの戦い方が見えて来た。経済制裁と武器供与による当事国への支援というスタイルであり、それは戦闘の一方の陣営を介した代理戦争としての側面を有する。
傷つくのはウクライナの国民なのであり、真にウクライナのための支援が望まれる。

では果たして日本が当事国になった時、同盟国の指導者は、自国民に自ら武器を取って戦えと命ずるのであろうか。少なくとも過度な期待をするべきではない。
深読みすれば、ごく最近の日本の防衛力の抜本的強化に関する議論は、こうした事情を踏まえたものである気がしないでもない。

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異界紀行・越後七不思議~焼き鮒

これも越後七不思議のひとつ。

越後に配流されていた親鸞聖人が赦免されて都へ戻ろうかという折、土地の信者たちから祝いの宴を受けたその席で出された肴が焼いた鮒であった。
聖人がその鮒を手に取り、
「わが真宗の御法、仏意にかない、念仏往生間違いなくんばこの鮒、必ず生るべし」
と唱え池に放ったところ、その鮒が生き返り泳ぎ出したという伝承である。

逆さ竹の藪から南西へ約4キロほど、道の駅「新潟ふるさと村」からほど近い場所に、「見真大師 焼鮒御旧蹟」と記された石塔が建っている。当地に居を構える田代家に代々伝わる話なのだそうだ。

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近年まで、新潟市の白山から燕を結ぶ私鉄・新潟交通線には、七不思議ゆかりの地として「焼鮒駅」が存在したが、交通線が廃線となった1999年に同駅も廃駅となった。

新潟交通線跡は、一部が遊歩道として活用されており、焼鮒駅はその存在した場所の、路上に埋め込まれた「焼鮒駅跡」という銘板のみが名残りをとどめている。

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ふるさと村は観光客、買物客が引きも切らないが、こちらは足を止める者もほとんどない。
訪れたのは暑い一日だった。

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異界紀行・越後七不思議~逆さ竹

越後七不思議のひとつとされる。
「鳥屋野逆ダケの藪」として国の天然記念物にも指定されている。
この竹藪に生える竹には、枝が下向きに垂れ下がって生えるものがあることから、逆さ竹の名がある。
新潟市中央区鳥屋野の地にその竹藪はある。現在は公園として管理されており、開園時間内には自由に出入りすることができる。

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新潟(越後)は親鸞聖人ゆかりの地であり、親鸞にまつわる伝説が多く存在し、逆さ竹の藪もそのひとつにあたる。
伝承によれば承元元年(1207)、越後国分に配流された親鸞は、同三年の九月、国分を去って蒲原に移り、鳥屋野の里に草庵を結んで居所とすること三年に及んだとされ、親鸞が鳥屋野の地で布教していたとき、持っていた竹の杖を地面に刺したところ、それが根付いて枝葉が逆さに生えたということである。
中門から藪に入ると、細い道が通っており、園内を巡ることができる。
竹藪は東西に500メートルほどの広がりがあり、枝が逆さ向きに生えている竹には目印としてビニール紐が巻いてあるが、その数はそれほど多くない。
最も顕著に確認できたのは、出口にあたる東門付近である。
学術的には、ハチクという竹の枝が下向きに屈曲し、垂れ下がった状態になった変異種とのことだが、垂れ下がる原因については諸説あって決め手はないそうである。

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なお、親鸞聖人の草庵跡には元和年間大きな寺院が建立され、それが現在の名刹西方寺であるという。

ところで、逆さ竹の藪には最近になってもうひとつの不思議があらわれた。
2019年から竹の花が咲くようになったのだそうだ。
竹の花の開花は100年から120年に一度とされ、当地では5月から7月中旬にかけてみられるとのことであり、市や専門家、地元住民らの調査によると開花の範囲は年々広がっており、今年は過去最高の本数で開花が認められた。
とはいえ、実際に花が確認できたのは今のところ園内の限られた一画のみである。
見た目はイネの穂先のようで花というイメージからは遠い。

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竹の花が咲くのは竹藪が枯れる前兆ともいわれ、もしそうだとすれば、この逆さ竹の藪も終わりを迎えるかもしれないということになるのだが…。

ともあれ、昔からつたわる伝承を踏まえて、今でも目で見ることのできる不思議とは貴重なものである。

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